昨日は、日本の地方に纏わるクラスを二つ開催していた。
一つは、千葉の一宮というビーチタウンでのお話。もう一つは「しゃべり場」というクラスで、和歌山と宮崎のアートディレクターと地方で住むということについて語り合った。
先ず感じたのは、このコロナの影響も強いのだろうが、日本の地方への注目が明らかに高まっているな、ということ。311以降もそうだったが、ここにきて尚更高まっていることを直接実感した。受講生の中にはアメリカNY在住の方もいらした。
ここで、「地方」という言葉を調べてみると、大辞泉には「首都などの大都市に対してそれ以外の土地」との説明がされている。
自分の生い立ちを記してみると、山口・下関生まれ→名古屋育ち→神戸で大学生活→東京で就職→宮崎へ家族で移住→東京へ家族で戻る→?、だ。つまり都市部と地方部を行き来してきている。
そんな体験者として感じているのは、この都市部と地方部を対極的に比較して語ることにはほぼ意味がないのでは?ということである。簡単に言えば、どちらにも良いところもあれば悪いところもある。当たり前の話だ。
で、言いたいのは、自分のライフスタイルありき、ということである。もっと言えば、場所ありきでコトを進めるのではなく、スタイルありきで進めたほうが上手くいくだろう、ってこと。シンプルな話だが、波乗り好きなら海の近くが良いだろうし、スキー・スノボ好きなら山の近くが良いだろう。
ここからはバランスのお話になるのだが、家族(特に子育て)・仕事(夫婦ともに)・遊び・趣味・両親との距離感等々、様々な要素の検討がある。その大前提になっているのが定住という考えだと思うのだが、ここの処から揺るがしてみることはできないだろうか?ってお話をしてみたい。
つまり、移住というのは、基本的に引越し先を決める、つまり定住する場所を決める、というコトが大前提になっていると思うのだが、定住しなくても良いのでは?と。言い換えると、拠点という考えを持って、その拠点を増やしていく、ということだ。それが2拠点であったり、3拠点以上の多拠点であったりだ。
もっというと、拠点ってのは物理的にそこに点が無ければならないのだろうか?と。ちなみに私の場合、いまだに宮崎にも拠点がある考えだ。それは宮崎に定住という住まいは持ってはいないのだが、タイムシェアというもので、リゾートマンションを買って(借りて)いる(タイムシェアが解らない人はググってね)。年間約30泊分だ。
ここらは、定住っていう考えから離れられれば、拠点という考えに至り、同じ拠点でも物理的に拠点を構えるという考えからも離れられれば、もっと自由な暮らし方になるのかなあ、って思ったりしてます。このオンライン化への強制的かつ急速な動きが、オフライン上での拠点を不要にしてくれるのでは?とも感じます。要は、オンライン上で(=精神的)拠点を構える、ということを可能にしてくれる、と。このハミダシ学園に至っては、コミュニティーという観点で言えば多拠点でもあるし、無拠点とも言える。
そんな中で今、自分にとっての一番の課題は、子育て(環境)です。ここは独身の方はもちろん、子供のいない夫婦とも全く違う状況となります。正直、夫婦というユニットだけなら、かなり自由に発想ができ実際に動けます。ここは自分自身経験済み。その上で、子供がいるから無理だとは絶対に諦めたくない自分がいます。
なので、ここからは自分自身そして自分たち家族のチャレンジなんだと思っていて、近いうちに僕たち家族らしい在り方を実証できれば良いなあ、って、そんなこんなを思い巡らされる昨日のクラスでした。
「旅するように暮らす」
夢のようだけど夢で終わらせないよう妄想を膨らませたい。ちなみに僕の好きな言葉で「妄想は無料(タダ)」ってのがあります。妄想し続けないと実現なんて絶対にしないからね。
ってことで今後も、この「地方(地域)」っていうテーマは様々な角度から扱ってみたいなあって思いました。以上